25年前のこの震災は関東ではあまり影響がなく、正直なところ 私にとって
地震の怖さもわからず東日本大震災ほどのショックではなかった気がする
ところが、アメリカへ留学していた息子が、火災が起きている神戸の町の映像をみて
誰にも連絡もなしに帰国して、直接神戸の被災地にボランティアとして入ったようだった⁉️
行方が分からず心配していた家族には半年ぐらい後になってから
知らされて事情を聞きビックリするやら、ホットすらやら❓
当時「プレジデント」という雑誌に最も遠くから来たボランティアという事で取り上げられた。
「ボランティア」という言葉もこの震災から、よく耳にするようになったのではないかと思う⁉️
彼はその後も度々の災害に見舞われた地域へと、あちらこちらを飛びまわっている日々だった。
東日本大震災の時は気仙沼で5年間生活して、すっかり地元の人に溶け込んでいたようだ!
現在では鳥取で腰を落ち着けて災害に関係する仕事をしている。
そんな影響で私達も災害に関する知識もそれなりに、
理解し出来る事をする今日このごろである。
あの阪神淡路大震災によって、我が家のこれから生き方の先が見えてきたように思う⁉️
25年となった昨日、鳥取から家族で朝早いイベントに参加して風化してはならない思いを確認したのではないだろうか⁉️
「つなぐ」なんて深い言葉‼️ 忘れてはならない‼️