今にして思えば背筋が寒くなるような危険な事だった。30年くらい前20代の息子がパレスチナへ行くという⁉️
彼は「阪神淡路大震災」の時ボランティアで神戸へ入り一年近く滞在していた。
その後朝日新聞でアルバイトをしたりしていだので、カメラに興味があり報道カメラマンにでもなりたかったのだろうか⁉️
ある日突然パレスチナへ行くと言った。もともと子供の頃から勉強嫌いで行動力は人一倍大きかったので、止めてもダメだろうと思ったから フィルム🎞️を隠し持ち出すため下着にポケットをつけたり準備を手伝った⁉️
まだデジカメも携帯も少なく連絡の取りようがないあの頃、親の私ですらよくわからなかった⁉️
現地から 「今から陸路でパレスチナに入るから」と家の☎️にかかってきた時は覚悟しているのだと理解した。
その後の事はあまり覚えていないが、なんとか帰国した。
イスラエルとパレスチナの戦いは何度も何度も繰り返され、そして今もまた行われている。
朝日新聞の報道に心が重い。
その少し前 まだロシアだったウクライナの高校生をホームステイでしばらくお預かりした事があり、お父さんがジャーナリストで自分も目指しているとのことだった。 頭の良さそうな小柄の彼は今どうしているのかと気にかかる⁉️
アメリカの黒人の「カフィ」という女の子は一年近く私達が住んでいた横浜のマンションで生活していた。あの頃日本でも黒人系の人をホームステイさせる所が無く我が家で預かった。性格も良くなんでも気づかいできる優しいいい子でいまだに忘れられない⁉️
世界のあちこちの子供達を預かり、いろいろな話しを聞くのが楽しくて、ついこの間のことなのに今から思うと良い時代であった⁉️
最近あちこちで戦争がありギスギスしていて心が痛むこの頃だが 今はなにも出来ないのが残念である⁉️